見えないもの、聞こえないもの
私たちの日常生活は大部分がいわゆる「現実」から成り立ち、
その中でいろいろな用事を片づけるために皆忙しくしています。
それはそれで必要なことですが、現実とは果たして見えたり
聞こえたりするものだけでできているのでしょうか。
時どき一歩しりぞいて静かに現実なるものを見つめ、
こまやかな感受性をはたらかせ、いろいろな角度から
ものを考えてみると、いわゆる現実をはるかにはみ出した
大きな心の世界がひらけてきます。
愛や真理や美のさまざまな形が発見されます。
その中でいろいろな用事を片づけるために皆忙しくしています。
それはそれで必要なことですが、現実とは果たして見えたり
聞こえたりするものだけでできているのでしょうか。
時どき一歩しりぞいて静かに現実なるものを見つめ、
こまやかな感受性をはたらかせ、いろいろな角度から
ものを考えてみると、いわゆる現実をはるかにはみ出した
大きな心の世界がひらけてきます。
愛や真理や美のさまざまな形が発見されます。
これこそ一層大切な現実で、外側の生活がどうなろうとも、
いつまでも私たちを発らつとさせてくれるおどろきや
よろこびや夢はこの心の世界から湧き出てきます。
現実の日常生活で役立つことも大切ですけれども、
すぐ役立たないことにも大切なものがあるのではないでしょうか。
(中略)
心の世界を広く深くたがやし、養って下さい。
人の世をうるおす泉となるように。
いつまでも私たちを発らつとさせてくれるおどろきや
よろこびや夢はこの心の世界から湧き出てきます。
現実の日常生活で役立つことも大切ですけれども、
すぐ役立たないことにも大切なものがあるのではないでしょうか。
(中略)
心の世界を広く深くたがやし、養って下さい。
人の世をうるおす泉となるように。